コロナ禍で東京に住む普通の人に起きた出来事

プロフィール

半月ぶりの更新となりました。

辛いことがたくさんあり、更新できませんでしたが、ようやく文字を書く気力ができたので

ここに私がコロナ禍で学んだことを書いていきます。

コロナ禍で学んだのは、人生で大事なことは「営み」だということです。

「お金が重要だ」なんてもう思えなくなりました。

「仲間が重要だ」なんてことも今は思えません。

仕事も家族も社会も全部一瞬でなくなることがあるんです。

恐ろしいことは今後も起きるかもしれません。

ではそんな時でも間違わずに生きるにはどうしたらいいのか。

たどり着いたのが「営み」でした。

こちらではそれについて書いていきます。

5月までブログをたくさん更新していたし、コロナ禍になりたての頃はブログを書いて読んでくれた人に不安を与えないようにと思って自分の意見を送り続けていました。

その後いよいよ自分が経験したことのないほどのおかしな世界になり、僕はいよいよどうしたらいいか分からなくなりました。

「今は何もできない」

コロナが落ち着くまで何もしないほうがいいんじゃないか。

そう思っていました。

そうしてモヤモヤと時間だけは過ぎていきます。

僕は去年の10月に恋人と別れていたので、すごく孤独なコロナ禍を過ごしました。

だから今年の9月頃までその孤独を埋めることに必死になっていました。

SNSで知らない人と繋がって会い、とにかく孤独を埋めたい、その一心でネットを徘徊していました。

それでも全然孤独な気持ちは埋まらず、仕事もなくなり(案件任期満了)また仕事を探している最中です。

その間にテレビに出ないかというチャンスもあったのですが、僕の力不足で実現までには至りませんでした。

孤独との向き合う

僕は恋人と別れたことを1年間ずっと引きずっていたんだと思います。

恋人がいた時は、いつでもそばにいてくれる人がいたから、寂しくなくて何もかもやる気に満ち溢れていました。

落ち込んでも相談できる相手がすぐそばにいてくれることで、パワーになっていたんです。

でも今はもうその恋人とも連絡があまり取れなくなりました。

それで孤独と真剣に向き合わなければならなくなったんです。

新しい恋人を探そうと思っても全然見つからず、お金を騙し取られたりもしました。

何度も恋をし振られ、また出会い。

浮き沈みの激しい時間を過ごしました。

それでも僕は恋人を探し続けました。

恋人がいなきゃ自分は何もできないと思っていたからです。

でもいくら頑張っても恋人は見つかりませんでした。

ただただ時間だけが過ぎていきます。

そうして、ようやく恋人を探すことを諦めることにしました。

恋人はそんなに頑張って探すものではないのではないかと思うようになりました。

それに今このコロナ禍で人は結構変化していて、正当な恋などできなくなってしまっている可能性もあるんです。

こんなに頑張っても見つからないんだから、今は諦めよう。

そうして恋も諦め、本当の孤独と向き合うことにしました。

思えば僕は大学を卒業してから10年間ほどずっと孤独な人生を歩んでいました。

本当に大好きだと思える人は去年の9月に別れたその人だけだったんです。

それまではずっと友達もいない孤独な人生でした。

そんな中で、小説を書いたり仕事に没頭したりと、孤独とよろしくやっていたんです。

だからこそ今もう一度向き合うことができるんじゃないかと思っていました。

小説を書いたり、英語を勉強したり、自分の時間を思う存分楽しめるのが孤独な人の唯一の特権です。

その特権を十分に味わえばいいのです。

そう思ってもう一度ブログを書き始めました。

孤独で辛いこと

孤独で辛いことはたくさんあります。

1つは寂しさです。

そして暇。

時間の浪費。

これなんじゃないかと思います。

これらを全部なくすことができれば、別に孤独は辛いものじゃなくなります。

一番辛いのは寂しさですね。

寂しさはどうしても拭うことができません。

寂しさは突然やってきます。

一人で掃除している時、一人で目覚めた時、一人でご飯を食べている時。

その時の苦しみは尋常ではありません。

僕も毎日一度は泣いています。

もう習慣みたいに悲しくなります。

でももう孤独だから悲しいのは仕方ないのではないでしょうか。

でも誰かがおっしゃっていました。

「その苦しみ、不幸だなって思えることは、素晴らしい体験なんだ。

その体験を必ず活かせる時がある」と。

それを聞いて少し楽になりました。

孤独で寂しくて悲しくても、この寂しい、悲しいという気持ちを経験できることは必ず役に立つ日がやってきます。

いつかもし誰かがこんな風に思うことがあったら、その気持ちに痛いほど共感することができ、その人を救うことができるかもしれません。

その優しさはいつかきっと何か大きなものに変わる可能性もあるんです。

だから、僕はもう少しこの苦しい悲しみに付き合おうかなと思っています。

やりたいことを探すって大変?

暇と時間の浪費はやりたいことを始めることで解決すると思います。

でもやりたいことを探すというのはとても難しいことでした。

僕は今、英語と小説を書くことをやりたいことにしたのですが、僕はどうやってこれを見つけられたんでしょうか。

きっかけはある映画でした。

ここからこのブログの本題になります。

「あん」という映画は前から観たいと思っていた映画でした。

ハンセン病で世の中から隔離されてしまった樹木希林さん演じる徳江さんが孤独な主人公のどら焼き職人(千太郎)を救う話です。

僕はこの映画を見て樹木希林さんの魅力に魅了されました。

樹木希林さん演じる徳江さんはずっと孤独な人生を生きてきたんだと思います。

そして過去に罪を犯してしまった孤独な主人公・千太郎も孤独を生きていました。

千太郎は徳江さんに出会って、孤独から解放されたんだと思います。

常連客の高校生との繋がりも徳江さんが深めてくれました。

そんな周りの人を温かく包んでくれるような徳江さんはずっと孤独を味わってきたんです。

そんな徳江さんは木々に話しかけ、あずきに話しかけ、対話をして生きていました。

私はそれを見てとても静かな時間の過ごし方だと思いました。

そしてそれと同時にとても幸せな気持ちになりました。

僕はどうして徳江さんの行動から幸せを感じられたのかわかりませんでした。

全然わかりませんでしたが、ずっと気になっていました。

それから樹木希林さんの魅力の理由を知るために樹木希林さんの本を読みました。

樹木希林さんは大スターなのに、浪費をせず服も他人からもらって生活していました。

服が破れて着れなくなっても、繕ってまた着れるようにします。

昔の人だからなんでしょうか。

でも僕はそれだけじゃない樹木希林さんの魅力の理由を知りたくなりました。

樹木希林さんは決して良い人ではないんです。

すごく物事をはっきり言います。

でも相手を傷つけません。

だから離婚届を出した内田裕也さんをも引き止めることができたのかもしれません。

なぜ樹木希林さんは魅力的なんでしょうか。

それは樹木希林さんが自身が病気であるにも関わらず、仕事をし続けることを選ぶような人だったからなんじゃないでしょうか。

めげずに続ければ必ず何かが見つかる

樹木さんは別に俳優の仕事を心底好きだったわけではありません。

本当に好きなのはもしかしたら不動産だったかもしれません。

それでも役者を続けてきたのは、成り行きだったんだと言っていました。

俳優という仕事ができたからやった。

それだけです。

そして樹木さんには俳優に対してなんのこだわりもありませんでした。

ただただやっていただけです。

でも病気になって、薬を飲み、苦しみながらも仕事を続けていました。

私はこれが樹木さんの魅力なんじゃないかと思いました。

どんなことがあってもやり続ける。

それは到底できることではありません。

役者なのに樹木さんはどんどん老化していく姿を惜しみなく見せました。

それはおそらく全てを見せることが役者としての使命だと思っていたからではないでしょうか。

樹木さんは一切嘘をつきません。

全部ありのままを見せてくれました。

普通の人は繕い、おしゃれをしたりしますよね。

女優なら当たり前でしょう。

でも樹木さんは一切隠さず、驕らず自らをそのままさらけ出しました。

それは一点の曇りもない人生を生きるための営みだったのではないでしょうか。

生きること、それは1つ1つの挙措動作なんではないでしょうか。

一歩一歩踏みしめ、歩いていく。

これも生きているということです。

掃除をしたり、食器を洗ったり。

なんの利益も生みそうもないことでも、重要なことなのではないかと思います。

樹木さんはお金を稼いでいました。

でも別に好きなものを買うためではありません。

不動産をするためです。

地に足をつけた本当に価値のあるものを買うためにお金を稼いでいました。

つまりお金を持つことが幸福ではないということです。

お金を何かに変え価値あるものにすることが重要だと知っていたんです。

それは家という、土地という営みを行う場所なんです。

人が生きる上で最も重要で将来絶対に変わらないもの。

それが営みとその営みを行う場所です。

私がコロナ禍で、世界が経験をしたことのないほどの辛い日々の中で、お金ではなく営みの大切さに気づきました。

だからこそ、営みを通じて、英語学習と小説を書くことが自分にあっていると気づきました。

することがないならできることをすれば良いと思います。

何も大それたことがなくても、営めば良いんです。

それが時間を潰してくれます。

樹木さんは死ぬまで演じ続けました。

歩くことができるその日まで歩き続けたんです。

なぜなら人は死ぬ最後の日まで営むべきだとわかっていたからです。

たとえどんなに貧乏になったとしても、たとえ死の淵でお金が尽きたとしても人は最後まで前を見て歩いていけるんです。

そうすれば必ず誰か助けてくれる人を見つけることができるでしょう。

まだまだ長いこの人生。

毎日自分ができることをしていればいいんです。

別に人に大きな影響を与えることでは無いくても、自分の足と手で、触れ歩んでいけばそこに生はあるんじゃないでしょうか。

人は死ぬまでそれを行うだけの単純な生き物なのです。