「ここだけは確かな場所」で伝えたいこと

ブログ小説

ブログ小説を書くことにしました。

今まで歌詞考察を書いてきましたが、やっぱり自分オリジナルなものを書きたいと思うようになりました。
昔小説を書いたことがあり、ずっと書きたいと思っていましたが、なかなか書けずにいました。

本来、小説家になりたいとか、脚本家になりたいとか思っていた者なので、いつかは書きたいと思っていましたが、何を書けばいいのかわからなくなっていたのです。

大学の頃は、ファンタジーだったり、推理小説だったり、エンターテインメントなものを好んで書いていましたが、今はそういうものは書かなくていいかなと思っています。

そもそも小説を書いていたと言っているように、最近は書いていませんでした。
最近は書けなくなっていたからです。

面白いものなんて自分には書けないと思ってしまったのです。
道尾秀介さんの「アヒルと鴨のコインロッカー」や「カラスの親指」などを読んで、この人のような緻密なストーリーは書けないと思いました。

自分が面白いものを書くには、もっと人生を経験しなければならないのではないかとも思っていました。

そう思い、今までしたことのない生活をしてみました。
20代後半から今まで(31歳)、私は面白いストーリーを書けるようになりたいと思い、様々な経験をすることにしました。
そんなことをしていて、だんだん小説とは程遠い世界にいるようになり、もう小説なんて書くこともないのではないかと思っていました。

ですが、最近になって何か文書を書きたいなと思うようになったのです。
それはどこに行っても変な人がいっぱいいるという現実と、平和で発達したこの世の中にも本当はおかしなことがたくさんあると思ったからです。
みんなが気づいているのに、言えない不満や出来事。
おかしいと思っていることをちゃんと伝えたいと思うようになりました。
日本は平和で、発展していて、みんな幸せで、大人になったら輝く未来が待っていると子どもの頃は勝手に想像していました。
でも大人になったら、苦しくて大変なのに、誰も助けてくれなくて。
人間は幸せになるために生まれてきたのに、辛いことの方が多くて。
全然素敵な世の中ではなかったのです。
ここには書くべきことがたくさんあるのではないかと思うようになりました。
そしてこんなに苦しく思うのは、変な人がたくさんいるからだと思っていました。
そんな風に思う中、変な人を題材にして、良い人を増やすことができれば良いなと考えるようになりました。
しかしそんなことをすると、悪い人をたくさん書かなければならないし、人によって良い人と悪い人が違うなとか、悪い人を悪い人だと言うと、炎上したり、叩かれたりしそうだと思って、なかなか行動に移すことができませんでした。

それでも日々は進み、毎日嫌な人に会う日々を過ごすうちに本当に疲れてきたんです。
毎日が嫌になって、心の癒しを求めていたのではないかと思います。

そんな時に見ていたのが「深夜食堂」というドラマでした。
「深夜食堂」のオープニングを聴くととても癒される自分がいました。

「深夜食堂」は特別面白い訳ではありませんが、なんだか人情味あふれるストーリーでいつもなぜか見てしまうドラマです。

思えば、昔は「北の国から」や「一つ屋根の下」「平成夫婦茶碗」など人情味のあふれるドラマがたくさんありました。
そこには様々な人間が登場し、様々な人の価値観が交差し、暖かく包み込む人のストーリーがありました。

この世の中にはどうしても納得のいかない辛いことや、悲しいこと、苦しいことがたくさんあります。
でも人情味あふれるドラマを見ているときは、心が癒されるのです。
そこにはきちんと人間が住んでおり、私たちに愛をくれるのです。

悪い人がいなくなることを願って悪い人を描くよりも、悪い人が良い人になるように良い人を描くほうがしっくりくるかもしれません。
悪い人にこんな人はダメですよと、言うよりもこうなったほうが良いですよと、伝えるほうが暖かいなと思ったのです。

ドラマを見ている人は、良い人が多いという研究結果があるようです。
ドラマを見ている人は教養がついて、心が豊かになるのかもしれません。
様々な人の感情を知り、気づくことで人の心の痛みがわかるようになるのではないでしょうか。

だからといって、悪い人がドラマを見なければ意味がありませんが、私はこの世の中にきちんと愛があり、ちゃんとした人がいるということを描きたいのです。
少ないかもしれません。
あなたをきちんと励ましてくれる人は。
あなたをきちんと愛してくれる人。
そんな人はこの世の中には少ないのかもしれません。
でもここに行けばちゃんとわかっている人がいると思える場所を永遠にするために、面白くなくても良いので、人情味あふれる愛ある物語を作れたら良いなと思っています。