米津玄師「ゆめうつつ」歌詞の意味(解釈)とは?〜よくわからないことだらけだけど愛だけは確か〜

米津玄師

米津玄師さんの「ゆめうつつ」は、「news zero」のテーマ曲です。

米津玄師さんの「ゆめうつつ」はどのような曲なんでしょうか。

米津玄師さんの「ゆめうつつ」の歌詞の意味を考えていきます。

米津玄師「ゆめうつつ」歌詞

作詞・作曲:米津玄師

夢の続きを いつまでも探していた
あまねく町の側で 揺蕩う路地裏
広告を携えて 飛び立つ紙飛行機
何処まで飛んで行くんだろう

虚しさばっかり 見つめ続けるのは
誰かの痛みに気づきたかった ひたすら
何かを得れば何かが 目の前を通り過ぎる
さよならまた会えるかな

背中合わせの旅は まだ続いてく
誰も知り得ない傷が 癒えずに増える
どうせいつかは 風に溶け消える
ならば今夜くらいは

羽が生えるような身軽さが 君に宿り続けますように
むくれ顔の蛇も気づきはしない 日々の隙間でおやすみ
君が安らかな夢の中 眠り続けられますように
あんな姿じゃいられない
子供みたいなまま遊び疲れてそれじゃ また明日

間抜けな惑星に 住み着いた羊の群れ
風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船
何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン
わたしは何処にいるんだろう

眩い光に絶えず 誘われている
零れ落ちた羊は まだ夢をみる
どうせわたしも 風になり消える
ならば今夜くらいは

声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように
革命家の野次も届きはしない 夜の淵で踊りましょう
君が望むならその歌は 誰かの夢に繋がるだろう
あんな人には解らない
物語の裏 隠れたままそれじゃ また明日

ゆめうつつで生きていく 一つずつ愛し合う
躊躇わず渡っていく 君の元へ
やるせなくて嫌んなる 面影は遠くなる
疲れたら言ってよ 話をしよう

米津玄師「ゆめうつつ」歌詞の意味(解釈)とは?

米津玄師さんの「ゆめうつつ」は、苦しい世界でも誰かを愛する気持ちは確かだと伝えた曲です。

米津玄師さんの「ゆめうつつ」は具体的にどのようなことを伝えた曲なんでしょうか。

米津玄師さんの「ゆめうつつ」の歌詞の意味を考えていきます。

夢の続きを いつまでも探していた
あまねく町の側で 揺蕩う路地裏
広告を携えて 飛び立つ紙飛行機
何処まで飛んで行くんだろう

揺蕩うとは、「気持ちが定まらずためらう」「心を決めかねる」という意味です。

とても難しい歌詞です。

ここでは何を意味しているのかわかりません。

夢の続きを探すというのは、夢を諦めた人の話でしょうか。

どうしたらいいかわからずに路地裏をふらふらしています。

ここで出てくる広告を携えて飛び立つ紙飛行機が何かわかりません。

それは現実にある本心ではない見せかけの感情のことかもしれません。

虚しさばっかり 見つめ続けるのは
誰かの痛みに気づきたかった ひたすら
何かを得れば何かが 目の前を通り過ぎる
さよならまた会えるかな

 何かを得たときに何かを失います。

上手くいき始めたら忘れてしまうことがあるんです。

今もどこかで苦しんでいる人がいます。

そんな人を救えるようになりたい。

なのに嬉しくて何かを失っても気づかない自分がいるんです。

背中合わせの旅は まだ続いてく
誰も知り得ない傷が 癒えずに増える
どうせいつかは 風に溶け消える
ならば今夜くらいは

この先、どうしたらいいかなどわかる人はいません。

これで上手く行く保証もありません。

いろんなことを経験して、1人苦しむこともあります。

でもその苦しみもいつか消えていきます。

変わらない状況はないんです。

羽が生えるような身軽さが 君に宿り続けますように
むくれ顔の蛇も気づきはしない 日々の隙間でおやすみ
君が安らかな夢の中 眠り続けられますように
あんな姿じゃいられない
子供みたいなまま遊び疲れてそれじゃ また明日

どんなに苦しい世の中でも自由に飛び回る力を失ってはいけません。

他人を苦しめるような人は放っておけばいいんです。

どんなことがあっても純粋な心だけは失ってはいけません。

子どもの頃のような綺麗な心で日々を生きていくんです。

間抜けな惑星に 住み着いた羊の群れ
風と花と鳥に開かれた 瀟洒な宇宙船
何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン
わたしは何処にいるんだろう

瀟洒なとは、すっきりとあか抜けしているさまを指します。

アドバルーンとは主に広告宣伝目的に使われる大体直径2m-3m程度の球形の係留気球のことです。

ここに出てくるのは一見無意味であってもなくても変わらないものです。

でもそこにもきちんと理由があります。

今のわたしは世界に必要なんでしょうか。

生きている意味は本当にあるのでしょうか。

そんなことを考えるんです。

眩い光に絶えず 誘われている
零れ落ちた羊は まだ夢をみる
どうせわたしも 風になり消える
ならば今夜くらいは

人は楽しい方へ向かいます。

楽しいことなら全部放棄して向かっていってしまうんです。

直さなければいけないことに気づいても直せない人がいます。

わたしだっていつかは亡くなります。

だったら今日は何をすればいいんでしょうか。

声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように
革命家の野次も届きはしない 夜の淵で踊りましょう
君が望むならその歌は 誰かの夢に繋がるだろう
あんな人には解らない
物語の裏 隠れたままそれじゃ また明日

傷ついている人がまた笑える世界。

夢を追う人が真っ直ぐ夢を終える世界。

夢がまた新しい夢を生む世界。

誰かを苦しめるような人にはわからない、静かで優しい世界。

そんな誰の目にも触れない。

特別な世界がこの世界のどこかにあります。

だから、気にしなくていいんです。

ゆめうつつで生きていく 一つずつ愛し合う
躊躇わず渡っていく 君の元へ
やるせなくて嫌んなる 面影は遠くなる
疲れたら言ってよ 話をしよう

わけがわからない状態でも生きていればなるようになります。

でもそんな中でも人を愛する気持ちだけは確かに持ち続けていたいです。

君を愛する気持ちは間違えていません。

だからわたしは君が疲れたら話を聞きたいんです。

米津玄師「ゆめうつつ」歌詞の意味(解釈)を考えた感想

この世界はどこか間違えているところがあります。

全ての人が幸せに暮らせる場所ではありません。

お金持ち、貧乏人、健常者、障害者。

子ども、大人、権力者、政治家。

被害者、加害者、弁護士、裁判官。

容疑者、死刑囚、無関係な人。

そんないろんな人がいる中で世界は回っています。

傷ついたり、苦しんだり、笑ったり、喜んだり。

毎日いろんな人がいろんな人に影響を与えて生きています。

だけど、誰かに何かを良い影響を与えようとすることは誰にでもできるんです。

人を愛すること。

人に何かを与えようとすること。

でも人は自分の幸せが一番です。

だとしたら、他人を喜ばせることが自分の幸せになったとしたら、そのとき世界は少しずつ良くなっていきます。

電球、掃除機、冷蔵庫それらの便利なものは、他人を楽にしたいという愛が形になったものです。

これからも私たちの世界は変われるんです。

寂しい人、苦しい人、悲しい人が少しでも減る世の中を諦めない夢を持っていたいと思いました。