徳永英明「陽炎」歌詞の意味(解釈)とは?

徳永英明

徳永英明さんが2017年の日本レコード大賞の作詞賞を受賞しました。

受賞した「バトン」が収録されているアルバムの中から、素晴らしい歌詞をピックアップしていきます。

徳永英明「陽炎」歌詞

作詞:徳永英明
作曲:徳永英明

あなた遠くへ逝ったのは
六月のわり蒸し暑い
そこにはもう居ないのに
あなたの手を握ってた

あなたを憎んだことばかり
離れてくらした日もあった
それでも私の気持ちはずっと
あなたの方を向いていた

許せないことばかり
多すぎたからかしら
しばらくは面影も見ないようにしてたみたい

でも、あなたの残したセーターの
袖を折って着てます
私でも知らないこの想い
言葉に表すことできません

一人が慣れたこの家も
あなたの写真がある部屋も
住み慣れた場所の近くに
引越ししようと思います

思い出は楽しいと
人は呼んでますか?
私には思い出に陽炎が舞っています

でも、あなたの好きな洋菓子を
今日も買って帰るの
私にも見えない思い出が
記憶のどこかにあるのでしょ

笑顔だけで他の女(ひと)
たぶらかしてばかり
手鏡が映すのは泣き腫れた私だった

でも、あなたの残したセーターの
袖を折って着てます
私でも知らないこの想い
言葉に表すことできません

私でも知らないこの想い
言葉に表すことできません

徳永英明「陽炎」歌詞について

この歌詞はとても綺麗で、感動し涙する内容となっています。

登場人物は亡くなった夫のことを思い出して、寂しさを味わっている老人かと思います。

この方の旦那さんは、とても素晴らしい夫であったとは言いがたい人のようです。

そういった旦那さんがお亡くなりになられたので、別に悲しくなんて思わないはずが、なぜか旦那さんが着ていたセータを着ていたり、旦那さんが好きだった洋菓子を帰りに買って帰ったりしています。

このご夫婦は仲が悪いようで、実はとても仲がよかったのではないかと思います。

長年連れ添っていて、もう愛情もないような熟年夫婦ではあり、夫はいつも心ここにあらずで出かけてばかりいたのでしょう。

歌詞にあるように別居をしていたこともあったようです。

しかし、そんな夫婦であっても仲の良かった時はあります。

もちろん、夫のことを一番知っているのは自分です。

だからこそ、こうして、最後まで一緒にいたのです。

この女性の素晴らしいところは離れていたにも関わらず、いつも旦那さんのことを思い続けていたというところです。

だからこそ、この歌詞は存在していて、死してなお、旦那さんのことを思い続けているのではないでしょうか。

そして忘れてはいけない、”私でも知らないこの想い 言葉に表すことできません”という言葉です。

年を取って、もう経験したことのないことなんてないと思っていた老人が最後に味わう”究極の孤独や悲しさ”はこの歳でさえ味わったことのない感情だったと言っています。

”色々な思いがありすぎて、一つの言葉では言い表すことのできない感情”を少しはこの歌で表現することができれば良いのではないでしょうか。

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「陽炎」の歌詞の疑問解読

この歌詞の中盤でとても難しい展開があります。

”一人が慣れたこの家も
あなたの写真がある部屋も
住み慣れた場所の近くに
引越ししようと思います

思い出は楽しいと
人は呼んでますか?
私には思い出に陽炎が舞っています”

この歌詞が難しいです。

”一人で慣れたこの家”と言っています。

今まで一緒に住んでいた部屋に、一人で住んでいるみたいです。

しかし月日は経ち広い家でも、もう住み慣れたと言っているのです。

旦那の写真があるこの家も、もう捨てて引っ越しをしようというのです。

これは時が移ろいいくことを表現しており、これだけ思っている夫への思いとは裏腹に、もう忘れてしまいそうなあなたとの思い出を捨てて旅立とうとしているのです。

ですが、この歌詞を通して言えることは決して、忘れることなどできないという思いです。この部分があるからこそ、この歌詞の思いの深さを感じさせることとなっています。

”陽炎”の意味

この曲のタイトルにもなっている”陽炎”の意味に触れていきたいと思います。

陽炎とは”春や夏に、日光が照りつけた地面から立ちのぼる気”をさします。

朦朧としている感じですね。

良い意味でしょうか、悪い意味でしょうか。

陽炎とは私には悪い意味には聞こえません。しかし良い意味にも聞こえません。

どちらでもない、曖昧なもののように聞こえます。

「思い出は楽しいと人は呼んでますか?」と前の文で言っています。

ですので、陽炎は悪いもののように思えるのですが、そうではなく、どちらとも言えない感情だと言っているのです。

そして歌詞はこう続きます。

”でも、あなたの好きな洋菓子を
今日も買って帰るの
私にも見えない思い出が
記憶のどこかにあるのでしょ”

つまり私にも見えない思い出と表現しており、どういうものかわからないと言っているのです。

この”陽炎”とは正に長年連れ添った夫婦が味わう、別れを表現したもの”そのもの”であったのです。