米津玄師「馬と鹿」歌詞の意味(解釈)とは?「ノーサイド・ゲーム」主題歌

米津玄師

米津玄師さんの「馬と鹿」は、ドラマ「ノーサイド・ゲーム」の主題歌です。

米津玄師「馬と鹿」歌詞

作詞・作曲:米津玄師

歪んで傷だらけの春
麻酔も打たずに歩いた
体の奥底で響く
生きたりないと強く

ああ 味わうさ
噛み終えたガムの味
噛みきれないままの心で
一つ一つ無くした果てに
漸く残ったもの

これが愛じゃなければ
何と呼ぶのか僕は知らなかった
呼べよ花の名前を
ただ一つだけ 張り裂けるぐらいに
鼻先が触れる 呼吸が止まる
痛みは消えないままでいい

WOW…

何に例えよう 君と僕を
かかとに残る似た傷を
枯葉を揺れば
まだ続く行こう
花の咲かないうちに

これが愛じゃなければ
何と呼ぶのか僕は知らなかった
呼べよ恐れるままに 花の名前を
君じゃなきゃダメだと
鼻先が触れる 呼吸が止まる
痛みは消えないままでいい
あまりにくだらない 世界が消えない
やまない

(公開された部分を耳コピしました。)

米津玄師「馬と鹿」歌詞の意味考察

米津玄師さんの「馬と鹿」は、「仲間のために、応援してくれる人のために、生き抜け」と言ってくれた曲です。

歌詞考察歴2年で米津玄師さんが大ファンの私が、米津玄師さんの「馬と鹿」の歌詞の意味を徹底考察します。

歪んで傷だらけの春
麻酔も打たずに歩いた
体の奥底で響く
生きたりないと強く

この歌の主人公は死にかけているのでしょうか。

でももっと生きたいと思っています。

痛いのに我慢して、病院を飛び出したのかもしれません。

主人公はもっと生きたいんです。

もっともっと生きたいんです。

ああ 味わうさ
噛み終えたガムの味
噛みきれないままの心で
一つ一つ無くした果てに
漸く(ようやく)残ったもの

もう死ぬとわかっていても、まだ足りないと思うものがあります。

もう終わったはずなのに、主人公はまだ諦めきれません。

ボロボロになった心でも、まだここに残るものがあります。

それが今漸くわかったのです。

これが愛じゃなければ
何と呼ぶのか僕は知らなかった
呼べよ花の名前を
ただ一つだけ 張り裂けるぐらいに
鼻先が触れる 呼吸が止まる
痛みは消えないままでいい

もしも死にかけた時でも愛があれば、自分は動き出せるんじゃないでしょうか。

やりたいこと、叶えたい夢。
それは愛で動かすことができます。
もっとやりたい。
もっと生きたい。

そう思う気持ちと、支えてくれる愛があれば、人はいつでも動き出すことができます。

たとえどんな境地だろうと、諦めてはいけません。

自分のできることを精一杯やるんです。

たとえ死にかけていようと、たとえ痛みがあろうと、やれることをやれば良いんです。

何に例えよう 君と僕を
かかとに残る似た傷を
枯葉を揺れば
まだ続く行こう
花の咲かないうちに

無駄だと思うことでも、やってみたら意味があることがあります。

皆が吸い尽くしたものだって、まだ生きているんです。

たとえ誰も期待しないものにでも、魂はつけられます。

望みがないものなどありません。

必要なのは、やる気と愛だけです。

これが愛じゃなければ
何と呼ぶのか僕は知らなかった
呼べよ恐れるままに 花の名前を
君じゃなきゃダメだと
鼻先が触れる 呼吸が止まる
痛みは消えないままでいい
あまりにくだらない 世界が消えない
やまない

どんなに辛い状況でも自分を突き動かすものがあります。

何が起きてもやり続ければ良いんです。

何が起きても僕らは生きていきます。

愛する人が一緒にいてくれるなら、やり続けることができるんじゃないでしょうか。

どんな価値のない人生でも、愛があるだけで走り続けることができるんです。

米津玄師「馬と鹿」と「ノーサイド・ゲーム」の意味とは?

ドラマ「ノーサイド・ゲーム」の1話に、このドラマの真髄となる言葉がありました。

大手自動車メーカー・トキワ自動車社長の言葉です。

トキワ自動車が運営するアストロズという弱小ラグビー部は、予算14億も使いながら活動を続けていました。

「ノーサイド・ゲーム」の主人公の君嶋(大泉洋)は、そんなクソみたいなラグビー部は廃部にすべきだと考えていましたが、ラグビーの精神「ノーサイド・ゲーム」に気持ちを動かされます。

「ノーサイド・ゲーム」とは、ラグビーの試合終了後、勝ったチームも負けたチームも両者の健闘を称え合うことです。

ラグビーは巨体と巨体がぶつかり合う競技。

ぶつかり合うのは、互いのチームを勝利に導くためです。

それは同時に互いのチームを守ることでもあります。

ラグビーは勝ち負けではなく、その健闘を賞賛するスポーツなのかもしれません。

ラグビーの画像

危険を顧みず、戦う選手たちにはある考えがありました。

ニュージーランド代表のオールブラックスというチームのHAKAという儀式があります。

ニュージーランドの先住民マオリ族が長い戦いの前の儀式として行った伝統的な踊りです。

私は死ぬ。HAKAで叫ぶ言葉だ。マオリ語で「私は死ぬ私は死ぬ、私は生きる私は生きる。見よ、この勇気ある者を。
ここにいる男たちが再び太陽を輝かせる。一歩上へさらにもう一歩上へ。輝く太陽の中へ。」
確かにラグビーは、危険なスポーツかもな。もしかしたら死ぬかもしれん。
それでも自分たちを応援してくれている仲間がいる、その人たちのためにチームのために皆、命がけで戦うんだ。
今戦わなければならない、そう思ったから戦う。どんな状況でも諦めることなく戦うんだ。
私はその姿に無性に惹かれる。だからこそ応援せずにはいられない。
君はどうだ?そういう感情にあったことはないか?
理由もなく胸の奥から熱い得体の知れない使命感がこみ上げてくるような。

出典:トキワ自動車社長・島本博(西郷輝彦)の言葉

主人公は「ありません」と言います。

君嶋は左遷されたにも関わらず、絶対に本社へ帰れないと知った時、どこに行けばいいかわからなくなるほどの絶望を味わいました。

そんな時、支えてくれたのが、アストロズのラグビー選手たちがノーサイド・ゲームでくれたタオルでした。

ラグビーの”ノーサイド・ゲーム”の精神とHAKAが君嶋に勇気をくれたのではないでしょうか。

そしてその精神は、米津玄師さんの「馬と鹿」にも受け継がれています。

たとえどんな状況においても、応援してくれる仲間や支えてくれる人たちのために戦うんです。

もしかしたら死ぬかも知れません。

でも生きるために戦うんです。

米津さんの「馬と鹿」には、そんな”馬鹿みたいな”精神が描かれているのかも知れません。

米津玄師「馬と鹿」リリース日は?

米津玄師さんの「馬と鹿」は、いつリリースされるかまだわかりません。

情報が更新され次第追記いたします。

「ノーサイド・ゲーム」とは?

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ダイヤモンド社
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ドラマ「ノーサイド・ゲーム」は大泉洋演じる君嶋隼人が、会社の戦略に胃を唱えたことから左遷されることで始まります。

君嶋は優秀だが優秀がゆえに、左遷されました。

そして行き着いた先には、予算を貪る超弱小ラグビー部がありました。

君嶋はラグビー部を廃部にしようと思っていましたが、ラグビー部員の練習や精神に触れ、その決断を取りやめます。

「ノーサイド・ゲーム」は君嶋のラグビーに対するの関心の無さが忌憚なく描かれています。

2019年9月から始まるラグビーW杯のPRドラマだろうと思うかも知れませんが、そうではなく、ラグビーの人気のなさの現状が忌憚なく描かれているのです。

これはまさに現実に近い、ラグビードラマかも知れません。

米津玄師「馬と鹿」コメント

最後に米津玄師さんの「馬と鹿」に対するコメントを載せておきます。

この言葉を胸に、明日を生きぬきましょう!