福耳「八月の夢」歌詞の意味(解釈)とは?

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福耳の「八月の夢」の歌詞の意味を考察していきます。

福耳の「八月の夢」はどのような曲なのでしょうか。

福耳「八月の夢」歌詞

作詞:岡本定義(COIL)
作曲:岡本定義(COIL)

気怠く(けだるく)物憂げな(ものうげな)午後 転寝(うたたね)で微睡んだ(まどろむ)
夢と現の間を何度も行ったり来たり
居眠りをしてるうちに百年がたってしまったよ
夢の中で見た夢は夢から醒めるって夢だった
夢じゃないよね? ほんのちょっと頬をつねってよ

どうしようもないことはどうしようもないんだよ
どうにかしようとしたけどどうにもならなかったんだ
なんでもないようなことにも奇跡は起こっているんだよ
僕にとってきっとそれは君と出会えたってことなんだ
嘘じゃないんだよ だけどずっと黙っていたんだよ

それは風のように 優しい雨のように
まるで花のようにそこにあるもの…

あたりまえのように夏がまた訪れたとしても
二度と来ない かけがえのない
雨上がりの空に虹がバッチリ架かってた日を決して忘れない

それは雲のように 朝の月のように
まるで泡のように消えてゆくもの…

報われないままで愛が終わってしまったとしても
二度としないなんて言わない
天の川の上 花火が咲いては散っていったから涙止まらない

あたりまえみたいに夏が何度も訪れるけれど
君はいない 永遠じゃない
雨上がりの空に星のかけらを探してたことを決して忘れない
それは夢ではない

福耳「八月の夢」歌詞の意味考察

”気怠く(けだるく)物憂げな(ものうげな)午後 転寝(うたたね)で微睡んだ(まどろんだ)
夢と現の間を何度も行ったり来たり
居眠りをしてるうちに百年がたってしまったよ
夢の中で見た夢は夢から醒めるって夢だった
夢じゃないよね? ほんのちょっと頬をつねってよ”

気怠くとはなんとなくだるいという意味です。

物憂げなとはなんとなく気がふさいで、動くのも面倒だという意味です。

転寝とは眠るつもりもないまま、うとうとと眠ることという意味です。

微睡んだとは少しの間うとうとするという意味です。

だるくて休んでいる午後のようです。

現実から遠ざかった、心地いい気分かもしれません。

そんなことをしていると、現実から取り残されたような気分になることがあります。

眠っている間は何も起きないのです。

その間にも他の人は活動しているのです。

だんだん現実か夢かわからない状態になっていたようです。

これは何を意味するのでしょうか。

”どうしようもないことはどうしようもないんだよ
どうにかしようとしたけどどうにもならなかったんだ
なんでもないようなことにも奇跡は起こっているんだよ
僕にとってきっとそれは君と出会えたってことなんだ
嘘じゃないんだよ だけどずっと黙っていたんだよ”

僕にはどうしてもできないことがあると言っています。

やろうとはしたけれど、どうにもできなかったようです。

それでも、奇跡は起きているようです。

世界は不思議なのです。

どうしようもないことはどうしようもありませんが、君と出会えて僕はとても幸せなのだそうです。

それだけが唯一の救いなのかもしれません。

”それは風のように 優しい雨のように
まるで花のようにそこにあるもの…”

辛いことの中に、自分励ましてくれるものがあるようです。

それで僕らは救われるのかもしれません。

”あたりまえのように夏がまた訪れたとしても
二度と来ない かけがえのない
雨上がりの空に虹がバッチリ架かってた日を決して忘れない”

いつもと同じような夏であったとしても、毎年違う夏なのです。

何かを追いかけていたら、見える景色も違ってくるのではないでしょうか。

”それは雲のように 朝の月のように
まるで泡のように消えてゆくもの…”

幸せとはすぐに消えていくものだと言っている気がします。

でもいつかまたやってくるのです。

そんな日々を僕たちは暮らしているのかもしれません。

”報われないままで愛が終わってしまったとしても
二度としないなんて言わない
天の川の上 花火が咲いては散っていったから涙止まらない”

辛いことがあったとしても、また恋をすればいいのです。

悪いことがあったら、良いことがあります。

人生はそういうふうに繰り返していくのです。

今をきちんと生きればいいです。

”あたりまえみたいに夏が何度も訪れるけれど
君はいない 永遠じゃない
雨上がりの空に星のかけらを探してたことを決して忘れない
それは夢ではない”

辛くて悲しいこともあるけれど、希望を忘れてはいけません。

人生は必ず変化しています。

悪いこともあれば良いこともあります。

そのことを知っていれば、様々なことを乗り越えられるのではないでしょうか。

現実が嫌になって、生きたくなくなったとしても、それはいっときの感情でしかありません。

楽しいことは必ずやってきます。

だから、そんなに焦らなくていいのです。

今を満喫すればいいのです。

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MV考察

愛しい人を亡くした老人がいます。

今まで何十年も一緒にいた人がいなくなってしまったのです。

それはどんな気持ちなのでしょうか。

人は数え切れないほどの悲しい出来事を経験するのかもしれません。

それは耐えられないほどの悲しさなのかもしれません。

動けなくなって、現実を投げ出したくなることもあるのではないでしょうか。

でもその老人は笑っていました。

若い頃の思い出を思い出して笑っていたのです。

可愛がっていた犬を亡くした家族がいます。

その犬も家族同然だったのです。

様々な瞬間で彼らを癒してくれたのかもしれません。

でも今はもういなくなってしまいました。

私たちはこれからも数え切れないほどの悲しみを経験するのです。

でも、それは単なる通過点です。

必ず良いことがまたやってきます。

悲しいことが起きたその瞬間にも、楽しいことが起きる可能性があります。

決して崩れてはいけないのです。

何が起きても、また必ず良いことはやってくるのですから。